仮そめの立場や力に溺れないこと

昨今の日本や世界のニュースを見聞きするたびに思うのは、今まで、特にコロナ騒ぎが起こる前までは、世間一般ですごいとか優秀だとか、偉いだとか思われていた人たちや組織(企業なども含む)の多くが、実は全く大したことはなく、むしろ既存の利権や自らの立場をいいように利用し、そのように見せていただけにすぎなかったということである。
それはコロナ騒ぎが始まって以降、ひたすら制作が後手に回る政治家や官僚たち、経済的に困窮する世帯が増えているにも関わらず、一時的な減税の議論を行うことすらできない無能な国会議員と財務官僚たち。
彼らは自分たちがまるで神にでもなったつもりでいるのだろうか? こう言っては失礼かもしれないが、彼らはしょせん、税金で食べているだけの存在に過ぎない。
彼らの立場や権力は与えられたものに過ぎず、言ってみれば虚構であり仮初である。
それにも関わらず、それらを絶対的なものだと勘違いし、立場と権力に溺れ、自分の都合のいいように利用することしか考えない。
このような人間たちがのさばっているのでは、例えコロナ騒ぎや昨今の急激な円安の進行などが無かったとしても、日本という国は遅かれ早かれ衰退していっただろう。
いや、むしろコロナ騒ぎはこういった人間たちの醜悪な実態を白日のもとに晒してくれたともいえる。
彼らを見ていると、つくづく自分の立場や力に溺れないことがどれほど大切なことかを思い知らされる今日このごろである。